俺が初めてUNIXに触ったのは、中1の丁度今ごろだったと思う。教育実習に来てた大学生に大学へ連れてってもらい、そこで実物のUNIXと遭遇した。何分、当時の俺にとって、UNIXは「そういうOSがある」という程度の知識を持つに留まるのみの、得体の知れない何だか崇高な存在だった。それ故、UNIXが動いていたマシンが何でどのUNIXなのか理解できようもなかったが、3ボタンの光学マウス(現在巷に溢れているような物ではない。光を反射する専用のマウスパッド上でしか使えない代物)と、5インチMOだけは鮮明に記憶に残っている。
第2の遭遇は、古本屋で見かけたFreeBSDの黄色い解説書だった。時期的には上と同じ年か、その翌年位だったかな。そして何を思ったのか、俺はその本を買った。WindowsはおろかPCすら持ってなかったというのに。
全ての物をファイルとして扱う、という概念はかなり奇っ怪に見えた。パーティションとスライスの区別が付かなかった。だが、portsとpackagesの仕組みには感激したのを覚えている。これが俺のFreeBSDマンセーの起源だ(w
第3の遭遇は高校生の時だ。PCを買ってもらい、BMSに明け暮れていた。
ひょんな事から「UNIX USER」と、4つくらいのディストリビューションが収録されていたLinux雑誌を買ってしまい、PCにインストールしてみた。当時最新鋭だったGeForce 256 with DDRを積んだうちのマシンでは、丁度リリースされたばかりのXFree86 4.0でなければXが動かなかった。この時収録されていたOSで、XFree86が4.0だったのはFreeBSDだけだった。この件で俺の“FreeBSD命”が確固たるものになる(ww
それから、PS2Linuxを買ったり、突発的にPCにLinuxを入れたりすることはあったが、所詮一過性のお遊びに過ぎなかった。途中BeOSに浮気したりもした。
大学に入り、Windows XPにSP2を入れたら起動しなくなり、それにブチ切れた俺はMac OS Xに走った。余ったマシンにFreeBSDを入れ、サーバにしたりした。そして、今に至る……と。
ここからが本題。上の長ったらしい前置きは、殆ど関係ない(ぉ
UNIX系OSで何かソフトをインストールするとき、基本はソースからmakeする事である。
この方法は如何にもパソコン操作してます、って感じで「俺は出来るヤツ」という優越感に浸れる素晴らしい特徴があるのだが、問題が発生すると生半可な知識じゃ手も足も出ないという、重大な欠点(?)がある。
問題が発生した場合、似非UNIX使いの俺みたいな人は必死でGoogle先生に問い合わせ、どんな些細な情報でも藁をも掴む思いで参考にし、問題解決を試みる。そして、大概は撃沈するのだが、時には「なんだよ、こんな単純な事だったのかよ…」という具合に解決することもある。
こういう時、「これくらいの情報、書いててくれたっていいじゃないか。不親切だなぁ」と思い、自分がインストール過程を残すときは事細かに残そう、と思っていたのだが、最近になってそれが不可能な事に気がついた。
最初はきっちりとログを取るのだが、問題が発生し、何だかごちゃごちゃやってるうちに動いてしまう。こういうパターンが多分にあるのだ。インストール手順を公開しようにも出来ない、ってのが真実だった。
締めは………すまない、何もないんだ。